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見える世界と見えない世界
今年の夏は信じられないほどに暑かったのが、まるで嘘のように寒くなってきました。人間が地球上ですむ事が出来る限界の温度は、一体どれくらいなのだろうと思ったほどです。

人間は自分の肉体の上に衣をかぶせて、どんな寒さにも耐えられるように工夫してきました。その衣は、樹皮などの繊維を編んだり獣の皮を縫い付けたりと、すべてが自然界からの恩恵で作られます。食べ物にしてもそうで、人間は成長する過程をお手伝いする事はできますが、成長させるのは自然界のエネルギーであり、そこに調和がなければ、人間は恩恵にあやかる事ができません。

日の光がなければ外を歩く事も出来ず、月の光がなければ陰陽のバランスを取る事が難しいでしょう。「人間は自然によって成り立ち、自然の中で生かされているという事を、もう一度思い出しなさい」というメッセージを、今年は頂いたようです。

それと同時に「目に見えるものだけに頼るのではなく、目に見えないものを感じなさい」というメッセージも降りてきています。自分の中にもうひとりの「本当の自分」を見出し、静かに対話をし続けていると、だんだんと「目に見えないもの」が感じられるようになってきます。

人の心というのは、ベールが幾重にも折り重なった、やっかいで不思議で素晴らしい「目に見えないもの」です。目にはみえないけど、確かに存在していて、心がなければ人は生きてゆく事が出来ません。それでは、人の心はどこにあるのでしょうか。

「心は考えるもの」と思っている人は、頭の中にあると思うかもしれませんし、それが一般的かもしれません。でも心というのは、その時の感情に動かされます。「胸がワクワクする」「胸が躍る」「胸がドキドキする」「胸が痛む」「胸が苦しい」など、胸という言葉を使って感情を表しますし、胸の奥には心臓があります。心臓は「心の臓器」と書くように、心は胸の部分にあるといわれています。

ヨガでいう「ハートチャクラ」というエネルギーの入口も、胸の部分に存在します。ここのチャクラのエネルギーによって、その人の愛情レベルが分かるといいます。愛情が足りないとか、愛情に飢えている人は、猫背になって胸が縮こまっていたりするので、エネルギーを受け取ったり貰ったりする事が、なかなか難しいようです。「胸を開く」という形から入る事で、愛情を受容したり放出したり出来るきっかけになるのも、面白い現象です。

このように、心は目には見えないけれど、胸の部分に存在しているという事は、お分かり頂けると思います。そして「目に見えないもの」は、目に見えるものと密接につながっていて、互いに影響を及ぼしあっています。心で感じた事は目に見える世界に影響して、現実化してゆきます。

目に見える世界と見えない世界が互いに影響を及ぼす時、一種の電気のようなものが走ります。これが「サイキック(超能力)」の力ですが、これは特別な人が出来るものではなく、普段誰もが使っている力です。本当は誰もが出来る事なのですが、年を重ねるにつれて「そんな事は出来ない」と思い込んだ結果であって、自分の本来の力に気づく事が出来れば、目に見える世界と見えない世界を繋ぐ事は容易です。

テレビなどで取り上げられる霊能者や超常現象を起こす人は、一般の人に比べて生まれつき能力が強いという事もありますが、ひとつの個性だとも言えます。そういう人を極端に崇めたりすることは間違っていて、能力があるからといって、優れた人格者とは限りません。誰かが優れていて誰かが劣っている等という事は初めから存在しないし、地球上の誰もがみな平等だという事を、忘れてはなりません。

また能力のある人が、見えない世界とコンタクトをして表現する世界が、地球に光をもたらす行いであるなら、その人は、この世での役目を十分に果たす事になるかもしれません。でも能力を使って地球に闇をもたらしたり、自我を拡大させて自分の利益だけに使おうとするなら、能力のない人以上に大きな負のカルマ(業)を背負う事になるでしょう。

魂は生まれた時から死ぬまで、もともと完全なる自由です。選択は自分自身で決める事が出来ます。すべては自己責任です。自分で蒔いた種は、自分で摘み取らなければなりません。その宇宙の法則の中で、私達人間は生きているという事が分かれば、どうやって生きたらいいか、自ずと分かってくるでしょう。
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テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

[2010/11/23 18:11] | 宇宙 | トラックバック(0) | コメント(2)
宇宙で対立する二つの存在
人は、自分の欲望を満たそうとして、無意識に行動を起こす事があります。それは多くの人がそうで、欲があることさえ気付かないで行動し、本当の進むべき道を誤ってしまう事もあるかもしれません。それは、人間として生まれてきた以上仕方がない事なのでしょう。そういう道もある、という事です。

ですが、自分という存在を客観的に捉えようと心がけている人には、そちらの道に進む事は、人によっては罪悪感を感じたり、もう一度方向転換を試みようとするかもしれません。どちらにしても、どの方向へ進んでも道があり、魂の学びが続いていきます。間違いであるという生き方はなく、どんな風に生きても、それが学びとなります。

それをご理解頂いた上で、ご自分の直感をなるべく高めて、このブログを読んで頂きたいと思います。そうでないと、ある時は片方を否定し、ある時は片方を賞賛するような結果となり、それは宇宙全体にとって、良くない影響を及ぼしかねません。ただ自分の中で、惹かれる方向に歩みを進めるだけで良いと思います。

このブログを立ち上げた理由ですが、少し具体的な話を書こうと思います。


私達が住んでいるこの宇宙には、対立する二極があります。「対立」と書くと、まるで争いごとのように感じるかもしれませんが、そうではなく、それぞれが独立して存在している、という意味合いで書いています。陰と陽という表現をすると分かりやすいと思いますが、人間界においても多くの二極が存在しています。

宇宙には、光と闇の存在があります。光と闇の生命体が、人間の顕在意識では届かない場所で、それぞれのエネルギーを使って駆け巡り、地球など生命体の暮らす星々を見守っています。当然の事ながら、光の生命体は地球に光をもたらそうとしますし、闇の生命体は地球に闇をもたらそうとします。そのどちらがかけても、光は光でなくなり、闇は闇でなくなりますから、宇宙は光と闇の両方があってこその世界なのです。

しかしながら、人間という存在は物質的肉体を持っているが故に、闇のエネルギーに偏りやすい性質を持っていると言えます。と同時に、物質的肉体を越えた精神的な部分の心では光を求めるように、両方のバランスによって均衡がとれています。どちらともかけがえのないもの、そういう法則の元で、私達人間は生かされています。

また最近気付いたのですが、光に住んでいる人が突然闇に移ったり、闇に住んでいる人が光に移ったりする事があります。光の中にいるような人が闇に包まれたり、闇の中にいるような人が光に包まれたりする、という方が分かりやすいかもしれません。これには、あまり時間はかかりません。光しか知らない人が闇に惹かれて行き、闇しか知らない人が光に惹かれて行く事によるものだと思います。

実は人は、根底では光と闇のどちらも知っているのですが、忘れてしまいがちなので、そういう現象が起こります。この生命によって実体験する事で表面上に思い出し、自分で価値判断をして、道を決めてゆきます。

次のブログから書く内容は、ブログの書き手の実体験をそのまま記したものですが、当人に降りてきたメッセージであり、万人に共通する内容ではないかもしれません。ですが、今後同じような体験をされる人がいるかもしれないので、予備知識として、また判断基準として、参考にして貰えればと思っています。

なお、このブログでは頂いたコメントについては、ありがたく拝読させて頂きますが、お返事をする事は出来かねますので、あらかじめご了承下さい。
[2010/09/28 23:26] | 宇宙 | トラックバック(0) | コメント(0)
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